周辺症状(BPSD)に対するケアの一つとして、役割をもってもらうことが重要です。
人は生きている上で何かしら役割を担っているものです。
ただ生きてここに存在しているだけで、ただそれだけで価値があり、だれかを幸せにしています。
存在していることそのものが、人の役割であるともいえます。
子供の頃は家族や周りの大人たちに無条件に愛され、無意識にでもそれを感じていたはずです。
でも、大人になるにつれて何か実働的な役割を担わなければ人に認めてもらえないと感じるようになります。
人に認めてもらえないだけでなく、自分自身を認めることもできなくなってしまいます。
高齢者の葛藤
仕事や家事、子育てなど、何かしら人の役に立てることをしなければ、自分の存在価値を見出せなくなる。
こんな自分はダメだと思うようになってしまう人は少なくありません。
年を重ねるごとに一層強く感じるようになるのかもしれません。
昔はもっと体が動いたのに・・・もっとやる気があったのに・・・もっと手先が器用だったのに・・・
『何もできなくなってしまった・・・』
何かしようとしても、「いいから、いいから座ってて」と何もさせてもらえない現状もあります。
若いころは仕事をしていたり、子育てをしていたり、人に頼られ人の役に立っていた。
年を取った今、もう何もできないと思われている。
むしろ何かしようとしても迷惑がられてしまう。
病気になった今、何もさせてもらえない。
だけど、まだまだできることはたくさんある。
そんな思いを抱えているのかもしれません。
特に周辺症状(BPSD)が現れている方は、このような思いを強く感じている方が多いように思います。
そういった方々には、その方が得意なことやできることなどをやっていただくようにすると、充実感により気持ちが安定することがあります。
認知症の人にとっての役割とは?
認知症の人でも、できることはたくさんあります。
たくさん、たくさんあります。
昔取った杵柄という言葉があるように、昔やっていた馴染みのことは体が覚えています。
料理が得意だった人は包丁だって使えるし、大工だった人はのこぎりもつとイキイキとした表情を見せてくださいます。
何か作業的なことでなくても、知恵を貸していただくこともできます。
若い人たちが高齢の方々に教えてもらえることはたくさんあります。
認知症の進行度合いにもよりますが、その方にできることをどれだけ見つけてあげられるか、ご自身で自分の存在価値を見出せないでいるのであれば、周りにいる人たちがどれだけその方を必要としてあげられるかが重要なのではないかと思います。
それでも昔得意だったことを今やろうとしても、うまくいかないこともあります。
昔はうまくできたのに今はもうできない、と自信喪失になったり、やれる能力はあっても「もうやりたくない。」と言われることもあります。
ご本人の気持ちを尊重しながら、やりたい気持ちになるように提案していけるといいですね。
また、新しいことを初めて行うときも、「やったことないからできない。」と言われるかもしれませんが、介護者も一緒に行ううちに熱中され、そのうちお一人でもできるようになられることもあります。
全てを一人でやらなくても、介護者と一緒に行い、部分的に参加したり口出し(知恵貸し)だけで参加したことででも、人の役に立てたと感じられるようです。
何かを相談したりお願いしたりすると、手を貸してくださったり知恵を貸してくださったりして、助けてくださいます。
そして何より大切なのは、人から頼られている、感謝されていると実感できることです。
些細なことでも、「ありがとう。」とお礼をいうと、お互いにとても嬉しい気持ちになります。