自分の常識は非常識!?認知症の人を救う行動とは?

認知症の人の善悪の判断

認知症の人を見ていると、間違ったことをしているように見えることがあります。
実際、物事の判断がつかなかったり、理解できなくてどうしたらいいのかがわからず、失敗したり間違えてしまうことはあります。

本人が困っているときには、「こうしたらいいんじゃないかな?」と教えてあげると安心されるのですが、そういった場合とは別に、認知症の方の中で確固たる世界が作られている場合、こちらの常識を押し付けても解決しないことがあります。

例えば、使ったティッシュを捨てずに袖の中にしまって溜め込むという人。
その数は一枚、二枚どころの話ではなくて、大量です。
まだきれいとか、汚いとか、そういったことは問わず、どんなティッシュでも入れてしまう。
本当に後で使うのかというとそうではなくて、ただただ、袖の中にたまっていくばかり。
それなら捨ててしまって、新しいティッシュを使えばいいのに、、、と思えてしまいます。

自分の中で常識だと思っていることと照らし合わせて、相手をみると、なんでそんなことをするんだろう?間違ったことはしないでほしいと思ってしまいます。
そして、相手の行動の一つ一つが気になりだします。
(自分の中の常識に当てはめて)正しく行動してほしいと思っても、そうはしてくれない相手を見て、イライラしてしまうこともあるでしょう。

袖の中にティッシュを入れようとするたびに、「一回使ったのなら捨ててください!」「その中にティッシュ入れちゃダメ!!」と強い言い方で相手を否定してしまいます。

なぜ相手を見てイライラしてしまうのか?

それは、自分が良い悪いを判断して、自分のものさしで相手を見ているからです。
自分が物事の良い悪い、正しい正しくないをジャッジしてしまうと、正しいと思うもの以外は受け入れられなくなってしまいます。

だから、相手に「それは違うよ!」と意見したり指摘してしまいたくなるし、間違ったことをしないように管理してしまいたくなるのです。

そうするとお互いにしんどくなりますよね?

認知症の人には認知症の人の世界があります。
周りから見て間違っていると思うようなことでも、行動の裏には理由があり、本人にとっては正しい行動をしているのです。

なんでそういう行動をしたのかな?
どういう考えがあるのかな?と考えてみることが大切です。

そして、自分が常識だと思っていることは、相手にとっては常識ではないということを知りましょう。

そうはいってもどうにかしたい場合もある

相手の世界を認めることはできても、さすがにこれは行き過ぎるとマズイ・・・ということもありますよね。

上記の例ではティッシュでしたが、例えばごはんの残り物をティッシュに包んで袖の中にしまう人、実際部屋に持ち帰って食べている様子はないものの、袖の中で温められています。

こういった場合は、「食べ物をそんなところに入れないで!」と頭ごなしに否定するのではなく、本人の気持ちをまずは認めてあげましょう。

「後で温めて食べられるように、お皿に入れてラップしとこうか?」と言って預かる。

「すぐに痛んじゃうから、代わりにこれ持って帰って。」と日持ちするような乾物のお菓子などを代わりに渡す。

「汁が出るからビニール袋に入れてあげよう!」と完全密封して持ち帰ってもらう。

相手がしようとしていることを応援する体勢をとる。

相手の気持ちを認める。

相手が損した気分にならないこと。
奪われた気分にならないこと。
悲しい気分にならないこと。

『気持ちや行動が認められた=存在自体が認められた』となり、心が少しずつ安定していきます。

心が安定すると、何かに執着しなくてもすむようになります。

また、袖にしまった食べ物は着替えのときやお風呂のときに処分させていただくこともできます。
でも、処分=損をするという考えが大きくなると、また執着も強くなってしまうので、このときも、代わりに新しいお菓子などを袖にしまえるように用意しておくといいと思います。

物を集めたり、使用後の物でも大切にするのは、単純な「もったいない精神」もあるかもしれませんが、執着するということは、何か満たされない気持ちを補おうとして起こることでもあります。

ご本人の言動や行動の裏には、どのような気持ちが隠れているのかを考えてみると、こちらの考え方や接し方を少し変えることができ、よりよい関係性を築くことができると思います。
よい関係性を築くことが、結果気持ちの安定につながり、一見困ったと思える行動も軽減していくことになります。



  
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