認知症が進んだ??と勘違いするとき
認知症の人は日頃、自分の行動を誰かに注意されたり、間違っていると指摘されたり否定されたりすることが多いです。
そんなことを繰り返していると、人と関わるのが嫌になります。
相手を拒否したり、言葉でうまく伝えられない場合は叩いたり蹴ったり、攻撃的になることもあります。
それを人は、「認知症が進んだ・・・」と言います。
本当はそんなに進んでいないんですけどね。。。
自分のやることなすことを誰かに否定され続けたら、悲しい気持ちになったり、怒りが湧いてくるのは当然のこと。
それをただ表現しているだけなんです。
認知症が進んだとか進んでいないとかではなく、人として当たり前の感情を持ち、それを表現しているんです。
周りにいる人は、認知症の人に正しいことを伝えようとします。
そして、正しいことをやらせようとします。
『正しいこと』
それは、介護者にとって、世間一般にとっての正しいことであって、相手(認知症の人)にとっての正しいことではありません。
行動を否定され続けたら、自分自身を否定されているような気持ちになり、この世界には自分の味方になってくれる人なんていないんじゃないかという絶望感に襲われます。
状況がわからない不安。
イライラして怒った顔をしている周りの人たち。
自分の思い通りにいかない腹立たしさ。
そういったことが、どんどん本人を追いつめていきます。
周りの人たちの関わり方次第では、穏やかに過ごすことができます。
記憶障害はあったとしても、普通に日常生活を送ることは可能です。
それは周りにいる人たちのサポート次第なんです。
認知症の人にとっての味方ってどんな人?
では、周りの人たちはどのように関わっていけばいいのでしょうか??
相手の世界に付き合ってみる。
「困った時は私に頼ってね」という姿勢でいる。
本人にとっての絶対的な味方であること。
そうすれば「私のことをわかってくれる人がいる」「優しく接してくれる人がいる」という安心感から、心は次第に穏やかになっていきます。
穏やかさというのは、とても大切なポイントで、人の話を聴く余裕があるかどうかということにも繋がります。
私たちも、イライラしている時には人の話を聞き入れる余裕がなかったり、冷静に考える余裕がなかったりしますよね?
でも、リラックスしている時はそれができます。
心が穏やかでリラックスした状態は、人の話を聞き入れやすく、こちらが伝えたことを納得してもらいやすい状況でもあります。
本人にとって絶対的な味方でいることは、一緒にいるだけで心が落ち着く存在にもなり得るということなのです。
多かれ少なかれそういった経験は誰にでもあると思います。
認知症の人はそんな状況が多くあります。
わからないから教えてほしい・・・と思う瞬間が多くあります。
わからなくて人と違うことをしてしまうことが多くあります。
認知症になったら本当に何もかもわからなくなってしまうのか?でもお伝えした通り、認知症が深まってくると今いる世界が元々いた世界(認知症になる前の世界)とは違うように見えてきます。誰が自分にとっての味方なのかそうでないのか、誰を頼っていいのかがわからなくなる時があります。
わからないことがあるときは、誰かに優しく教えてほしい。
間違ったことをしてしまったときは、そっとフォローしてほしい。
きつく注意をされて平気ではないのです。
自分がそのような立場だったら、相手にどんなふうに声をかけてほしいかな・・・と考えることが、認知症の人の味方でいるコツです。
わからないことがあった時にいくら誰かに教えてほしいといっても、怖い顔の命令口調で言われたら、どんな気持ちがするでしょう?この人怖い!こんな言い方をされて悲しい!と思うはずです。動揺して胸がドキドキしてしまいます。
にこやかに優しく話しかけてもらえたら嬉しいし安心しますよね?
認知症の人にとって、世間は厳しいのが現状です。
病気のことを理解していなければ、常識外れな行動をしていると見られることも少なくありません。
外側からは病気のことがわからない分、理解するのも難しいのかもしれません。
理解しようと歩み寄ることで、人の役に立てることもあれば、逆に知らないがゆえに人を傷つけてしまうこともあると思います。
まぁ、認知症であってもなくても、人には優しく!ですけどね。
人に優しい世の中になるといいなぁと願っています。