介護拒否は問題ではない。その理由とは!?

入浴を断られたり、おトイレの介助を断られたりすると、介護拒否があるなんて言われ方をしますが、これって本当に問題なのでしょうか?

誰に自分のことを世話してもらいたいのか、自分で人を選ぶということは当然のことだと思いませんか?
人として、当たり前の感情だと思いませんか?

介護職員だから排泄介助をするのが当たり前、入浴介助をするのがあたり前、裸を見るのが当たり前。
そう思っているのは介護者の方だけです。

介護の仕事をしているからといって、誰でも彼でも介護をさせてもらえるのが当たり前だと思っている介護職員の方にこそ、考えを改めなければならないところがあるのではないでしょうか。

「人にお世話になっているんだから、おとなしく人(介護者)の言うことを聞けばいい。」という心無いことを言う人もいます。
「『この人は良くてこの人はダメだ』と人(介護者)を選ぶなんて、わがままだ。」という人もいます。

でも、本来は人を選ぶことは当然のことだと思うのです。

介護が必要になったときに、どんな人に介護をしてもらいたいか?

自分だったらどんな人に介護をしてもらいたいかを考えてみると、気心が知れていて、自分の好みをわかってくれていて、優しくて信頼のおける人、任せて安心できる人なのではないかと思います。
できれば家族にそばにいてもらいたいと思う人もいるでしょう。

介護施設にはそのような信頼できる人はいるのでしょうか?
ご利用期間の浅い方からすると、本当に信頼してもいいのかどうか、不安な気持ちをもっているのかもしれません。
ただの職員としか見られていないのかもしれません。

介護職員がご利用者のことを、たくさんいる利用者の中の一人という見方をしていれば、ご利用者もまた、職員のことをたくさんいる職員の中の一人としか見ていません。
そこには、お互いに個人の人間性が見えていません。
一人の人間対人間としてのつながりがありません。

そういった状況で、介助をさせてもらおうと思っても、不安や恐怖感、嫌悪感を抱かれるのはあたり前のことだと思います。

本当は人の体に触れさせてもらえるのは(介助させてもらえるのは)、信頼関係を勝ち取った人の特権だと思うのです。

 

ご利用者の中には、異性に介助されるのがめちゃくちゃ嫌だと思っている人もいます。

でも介護者の方がしょうがないで済ませると、当人は諦めるしかありません。

嫌いな人に介助される気持ち・・・
期間限定ならば我慢できるかもしれません。
でも毎日のこととなると、生きていくことが嫌になってしまうかもしれません。

介護は生活の一部となります。
毎日行われることです。
どんな人に介護をしてもらうかで、日常が大きく変わってしまいます。

私たちはそんな毎日の憂鬱を知りません。
今私たちは自分で自分のことができるから。
毎日毎日人の手を借りなければならない、できることなら自分でやりたいのに・・・情けない・・・と卑屈になってしまってもおかしくない。
毎日が諦めの連続かもしれません。

だからといって、性別を変えることはできませんし、その方が最も信頼を置いている家族になることもできません。

でも、他人だとしても身近に感じる存在になることはできるはずです。

異性が嫌だと思っていた人でも、少しずつ関係性を築いていけば、信頼を置いてもらえ、心を開いてくださいます。

だから、少しでもその人にとっての身近な存在になれるように関係性を作っていきましょう。
その人が諦めなくてもいいように、遠慮なく頼ってもらえるように、遠慮なく甘えてもらえるように。
あなたならいいよって言ってもらえるような関係性を築いていきたいですね。



  
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